前回の永田さんのお話:「写真を撮る、ということ」

でも、今はどんどん横着になってる。

しば:どっちがいいとか悪いとかっていう話ではないですもんね。流れみたいなのはもしかすると、横着というか便利というか、そういう方向なのかもしれないですけれど。

だから今はこういう(フィルムで撮る)世界は無い。

例えば結婚式なんかでこれで写すっていうことはない。採算が取れない。
昔は全紙の写真フィルムまであった。1枚2000円もする。
それを6枚だけ持って出かけたこともあった。

しば:失敗できない。

失敗できない。失敗できないから一生懸命撮る。1枚のフィルムに想いを込める。

しば:僕らの周りでもカメラのデジタルを使ってる人が多いんですけど、そういう友達と比べてフィルムカメラを使ってると僕らは失敗したらその場でも確認できないから、なかなか大変です。

うちのお客さんにもあるけど、それが楽しみでフィルム使ってはる人もいる。
現像が出来るまでのワクワクが楽しいって言って。
だから、その辺はね。考え方。アナログの世界。完全に。

あんまりにも今は簡単になり過ぎて面白味がない。考えないし。

こういう(アナログな)カメラを据えたときには一生懸命考えるもん。構図とか、隅から隅まで。
そして、1枚を撮る。

しば:1枚の重み、みたいなものが全然違いますね。

そうそう。そういうカメラでやってもらうとほんとは面白いんだけど。
おっちゃんらが学校に行ってるときはお金ないから、今日はフィルム5本と決める。
で、現像して、そのうちのいいもの何枚かしかプリントしない。
撮影するときも1枚をシャッター切るまでに長いこと時間をかける。
そういう風なこともいいかなと。

しば:今は気軽に写真を撮れるようになってる

撮りすぎる。
撮れすぎてしまう。

しば:身近になり過ぎたからこそ見返すことが少なくなって、何のために撮ったんだろうってなってしまうことも。

しゅう:たしかに撮ることが目的になっちゃてることもあるよな。

面白みがないかなって思う。

しば:悪いことではないのかもしれないけど、(こういうフィルムの世界が)なくなっちゃうのは悲しい。

だから日本人っていうのはね、右って言ったら右なんだよ。ほとんどのものに対してね。
例えば、デジカメにしても、スマホにしてもそう。
それがええのかどうか。儲けるためには必要なのかもしれないけれど、人のためになってるのかなぁっていう。

しゅう:そこで一回立ち止まることがないですもんね。

しば:そういうところで歪みみたいなものは出て来るよなぁ。

まぁデジカメが良くなって、4×5(のフィルム)より解像度が高いという時代になってきたから、こういうカメラは必要ないんだけど。
でも色の発色の仕方とかは全く違う。
だから4×5のフィルムを使って引き伸ばしたものと、今のデジカメで撮ったものを引き伸ばしても全然味が違う。
味が違うっていうのはおかしいかもしれないけれど。

でもそれをわかっていただけるお客さんは、もうない。

しば:解像度って数字のお話になってくるじゃないですか。
発色とかっていうのは、そういう世界の話ではないということですよね。

そう。
いろんなメーカーさんがインクジェットで色が出ますなんていうんだけど、それと印画紙で出る色の違いっていうのはあるんですよ。
そういう世界をね、どう考えるかということ。

安く簡単にできるのでやるのか(めんどくさいことに時間をかけてやるのか)。

スタジオの中の設備を説明してもらう

しば:でも、さっきのお話であった右なら右で全部右になって、左がなくなってしまうっていうのは、もったいないというか。

いまは、カメラメーカーさんにしてもそうでしょう。
フィルムカメラというのが、ほとんどの会社でない。
そういう流れなんだな。

まぁシャッター切っていても、メカニカルな面白みみたいなものは今のカメラにはない。

しば:僕も使っているのが40年前のカメラなんですけれど、シャッター切った時の音とか、その重さとかも今のデジカメとは全然違う。これは機械として必要な音なんだなってわかるから、好きで使っているんですけれどでもそれをさっきおっしゃってたように、違いがわかった上でこう使っていらっしゃる方が少なくなってきてしまっているのが、なんとかね

そうです。
今富士フィルムのチェキが売れているのもそういうことなんですよ。
今の若い人にはプリントアウトしてみるという経験がないから。

しば:ないですね。画面上で見るものになってる。

出てきた瞬間にネガで出すっていうのは今の若い人にとっては面白みになる。

しば:僕も高校の頃、チェキを触ってましたけど、経験として結構新鮮で。

そう。
今は、画面上で見て、「はい、終わり」っていう画面上の世界になっているからね
そして今は、撮り過ぎてしまうから。
なにがいいのか悪いのか選択するのがしんどい。

しゅう:確かに。撮ろうと思えばいくらでも撮れちゃうわけですもんね。
結局その膨大な量をそのまま置いておく、みたいな。

学校の修学旅行なんかで撮らせていただく写真でも、だいたいシャッター切った時に決まってるんです、使うのは。「最終的に編集するのに使うのは、この写真とこの写真と」って頭ん中にあるんですよ。

しば:そうなんですか?

そう。シャッター切った瞬間に、もう「これとこれは使う」って。

逆にいうと、それになるように、子供さんたちを誘導するというか。
その絵になるように、入れ込んで描いていくという。

しば:すごい…。脚本を書くみたいに…?

そうそう。ある程度はね。

こういう写真が欲しいっていうだいたい頭の中で描いて、それを期待して撮っていく。

しば:それをもとに生徒さんを上手に上手に…?

動いてくれたらね。無理やりじゃなく。

だから普通の写真でもそうなんですよ。一応、頭の中で絵を描くんですよ。
こういう写真になったらいいなということで。

例えばその男の子なんかでも。

「3人兄妹の写真。みんな小学校低学年くらいかな。一番下の男の子が、パンチを繰り出すような動きのあるようなポーズで仕上がっていて、より自然な印象」

ちょっと最初慣れなくって、ちょっと暴れだしたからね。
そういう写真やってみる?って言ったらやってくれたから、何枚かぱっぱと(撮った)。
そのうちの一枚。

しば:だからなのかな。ならではの表情というか、生き生きして見えます。

そういうなのはやっぱりデジタルの世界で、ピント合わせて撮るという世界ではないんですよ。
それはそれで良さがある。

良し悪しじゃないということ。でも撮れるからと言ってあんまりむちゃくちゃとるとダメなんだ

しば:いやー確かに。

しゅう:そこにはあんまり理想はないというか。

道具の世界になっちゃってる。

スタジオにいたカメラたち。

しば:「このタイミングではこの道具がいいな」って選んでいければいいけれど、「なんでもこれでいいや」ってなってしまうと道具に使われてるって状況になってしまうのかもしれないですよね。

そうだと思う。
例えばデジカメ、ミラーレスの5000万画素だったりとか、お金持ちだしけんそれでいいかなと思うんだけど、
でも2年もすれば新しいのが出てくるでしょう。
そういう世界があんまりにも続きすぎるのはどうかなっていう気はあるし。

しば:たしかにな

でもおっちゃんでも、本当は10年くらい前にやめてなきゃいけないと思うよ。

しば:やめてなきゃいけない…?

うん。たぶん昔のカメラだと10年くらい前に写せなくなっていたと思う。

しば:どういうことでしょう?

もう老眼とか視力の衰えとかでピントが見えないもん。
「永田さんぴんぼけするようになったな」って言われる確率がものすごい高くなってたと思う。
ただ、オートフォーカスっていう、幸いにもそういう機械が出てきて、それに助けてもらってる。

最近買ったカメラがあるんだけれど、もう辞めるのをわかっているけれど、あとのほんの少しの撮影でミスせんように使ってる。
あれ、単純計算したらものすごい(使う回数が)少ない(笑)
でもね、お客さんに対しては誠意をもって答えないといけないでしょう。
そのためには、少々のことは言っとれない。

そう言う風に、機械に相当助けてもらっている面もある。

しば;本当に、良し悪しじゃないんだな

考え方は色々あるんですよ。写真の世界ていうのはすごい広いの。
わたしらの撮ってる写真なんかほんの一部で、いろんな世界がある。
科学的な世界もあるし、戦場カメラマンみたいに危険なところに行かれる人もあるし。
ドローン使ったり。そういう世界もできてきてる。

第2回はここまで。
次回、最終回は、一枚の写真に込める永田さんの想いを伺っていきます。

(文:芝田 昂太郎)