前回の未来子さんのお話…「飄々」

関係ない話ばかりで申し訳ない。ここはなんなんだって話やんな。
ここはなぁ、説明のしようがないんだ。概要はHPにも乗っているんだけど。
見た?あのやる気のないHP。(笑)
なんかなぁできないのよ。何かって言われても。
まぁただ民家を私が借りて、みんなに使ってもらってるだけなんやん。
だから、別に、みんなで一緒になにかやったりとかでもないし。
シェアハウスとして暮らしているわけではないんだけど。
なんていうんだろう。
わかんないなぁ。

—スタートはどういうきっかけだったんですか?

わたしもともとこっちに来たきっかけが、豊岡劇場という映画館があるんですけどそこをなんか再生しましょうみたいなので来たんですよ、豊岡に。
それを辞めた時に、それを辞めた時に、その劇場や、私が豊岡で暮らし始めた頃に出会った人たちがなんかしたいけど場所がないなって言っていて。

—豊岡劇場はもともと映画館だけではなくて芸術の複合的な施設だった?

そうそう。そういう場所やって。
でも映画館だけでってなったんよね。
そんなときに、豊劇以外でもいろんなおもしろい人が交友関係にいて。
みんななんかやりたいって言ってるから、じゃあ本当にやるー?みたいな。
そうしたら、今ここでゼロの学校っていう私塾をやっている人が、本当に仕事を辞めたの。
何するんですかって訊いたら、自分の私塾をやるって言っていて。
その人音楽もやっているんだけど、その一緒にやっている相方の女性のピアニストの方も音楽を通した活動をする拠点が欲しいって言っていて。
そういうのを聞いて、あれ?って
私その時アパートに住んでいたんだけど、私が住む家を広くして、そこを使ってもらったらいいんじゃないかっていう発想でやり始めました。
もういいやと思って。
「住むとこを使ってくれいや」っていうテンションで(笑)
一緒に立ち上げた方に、せっかくだったら地域資源と呼ばれる建物を使ってみたらって言われて、探して。ここって、なりました。

ゼロの学校の黒板。難しいことが書いてあった。



豊岡の街ってどんな感じかわかる?
豊劇は1927年ぐらいにできてるんやけど、その年代におっきい震災がおこって、それを復興した時に作られた建築がいっぱいある。
一気にその時代にモダンな街ができたすごい珍しい例なんよ。
アメリカとかフランスの都市計画を真似て作られた街なのね。

だから、色々不思議な建物があったり、燃えにくくて頑丈なものを角に建ててる。
実はこの家も和風なんだけど、その復興建築って言われる建て方らしいの。
豊岡劇場とかと同じ時代にできたんだって。
外が頑丈にモルタルで塗られてて、天井が赤いんやけど、なんやったっけ。
なんか赤い鉄分やねん。燃えにくい。(補足:べんがらでした)
街歩いていたらちょっと軒が赤いねん、他の建物も。
それがこの街の特徴。

あと、町歩きしていたら面白いのが、玄武岩を積み重ねて家をかさ上げしてんねん、震災以降。
水害があるから、土地を高くしたんよ。城崎温泉とか行ったらもろ、これ。
街をガッてあげてる。
街もねそういう視点で見てみると面白い。

—復興の話、すごく面白い。

豊岡をみるなら、1920年代を中心に見ていったらいいと思う。

—フランスがモデルなんですか?

いや、いろいろ。アメリカのボストンとか。
そこのロータリー(ラウンドアバウト)も、実はエトワール広場がモデルで。
ここは多分シャンゼリゼ通りに当たるメインストリート。(笑)
そういう話を聞いていたから、豊岡の街に住んでみたくて。
で、アパートをでて、街中の一軒家で人が集まる場所を作りたい、と思ってやってます。
なんかわくわくするやん。
1920年代のフランス!って。(笑)

—現在でも復興を考えるって難しいのに、当時の人に先のことまで考えて街を作ろうという発想があったのがすごい。

文化的な街だったんだなぁって思う。
そういうのをやろうって言い出した人がいて、乗った人がいて。
豊岡はその頃にすごいビジョンがあって、構想力があって、デザイン力があってできた街なんだけど、そういうのが活用されていなかったの。
だから豊岡劇場も頑張りたかった。
最近になって、ちょっとずつそういう建物が活用され始めてるかな。
ほぼこの時代に都市計画された街って、ここと東京の国立しかないの。
それをうまく伝えて盛りあげたいんだけどねー。なかなかうまくいってない。

—でも、そういう心意気とか歴史を考えるとぞわぞわしますね。

ぞわぞわする。
そういう風に街にベースになる骨格があるから、楽しくなるだろうと思ってやってるかな。
実際コトブキ荘に集まる人は、地域資源を活用して生活している。
私は普段はこんな話は全くしなくて。しょうもない恋愛相談とか、みんなで飲みに行こう、とか。
ここで楽しく暮らすようなことしかやっていないんだけど、ベースにはさっき話したみたいなことがある。

楽しく暮らして欲しいなって思ってるのね、ここの人に。
地元で生活している子が「豊岡おもんないっすわ」ってずっと言ってんの。
結構、ぐちぐちと。
でもここには、「え、ほんとう?」っていう子がいたりとか。
ここは移住者の人とかUターンしている人が多いのね。
そういう場所にもともと住んでいる子もいて。
お互いがここの場所を介して魅力に気付き始めて、楽しんでくれてるのかなと思う。

大きなちゃぶ台がある和室。初めて来た感じがしない。


—そういう流れは想像していたんですか?

ちょっとそうなったらいいなっていうのはあったなー。
他の事例をみていて、そうなったらいいなとか思っていたし。
でも、「そんな風になってください」って言ってもできないので。
とにかく、開けてます。ずっと。

—「常に開けておく」というのが、とても大切なことのような気がします。

そういう場所、あってほしくない?
部室みたいなさ。行ったら誰かいるっな思える場所があってほしいし、増えて欲しいなって思っている。
そういうところでだらだらしゃべったり楽しいことしたりしているところに、文化的なものがあると思う、きっと。なんとなくだけど。
だから私はあんまり、ワークショプやろうぜ、とか、ファシリテーター!とか、やらない。
任せている。


—自然発生的なものを信じて待っている?

疲れるやん。そういうのって(笑)
疲れへん?
やらなあかんってなって。しんどいやん。
でも期待はしてはいるよね。
そうなってほしいなと思いながらやってて。
なってきつつあるかなぁ。

—最初の説明聞いた時のわけのわからなさがすごかったですけど、わけのわからなさがわかってきた気がします(笑)

特にみんなで一緒になんかやったりもしないね。
ここをDIYとかで改装しよう、とかでもないし。最初の掃除くらいはしたけれど。

—そのゆるさが入りやすさなのかもしれないですよね。こういう場所に小・中学生が出入りするイメージってあまりない気がします。

見てて面白いよ。
普通に小学生がただいまって帰ってくる。
ここ家ちゃうでって(笑)

—ずっと開いているってことが生み出したもののような気がします。

開けてるね。なんとかして。
そうしたらだんだんそうなっていった感じ。

—今どれくらいでしたっけ?

まだ2年しかやってない。

—2年で人がただいまって言う場所になれるのってすごい

それは、この建物の魅力に助けられているんじゃないかな。
それが地域資源。
ここって豊岡の人がみたことあるような家やん。
なじむというか、家みたいな感じ。
寝てるからなー、みんな。(笑)

—そういう利用者のなかで未来子さんはどういう立ち位置なんですか?

いっつもいる人。(笑)
いやでもね、結構大変だよ。
その、人間と毎日接していくってさ。わかる?
たまにしんどくなる。
たまになんかばーって(全部放り投げたくなる)。(笑)
トラブルとかは不思議とないんだけどね。誰も揉めなくて。
(そのために)会員制なんだけど、入るときにだいぶ敷居を上げている。
やっぱり既にいる人達がいるから。そういう調整みたいなことはしている。

—このわけわからなさを守る?

そうそう。
穏やかに過ごしていくために。
イベント参加でお願いしますって言うこともあるし。

—それをひとつひとつ伝えるのも大変なことに思えます。

そう。慎重に。
どこまでオープンでどこまでクローズにするのかっていう調整は難しい。
クローズにしすぎたら、ただの身内で盛り上がっているだけになっちゃうし、フルオープンにしたら雰囲気が失われてしまうし。
難しい課題やで。誰か研究してくれ。(笑)

—でもそれは経験則に依る部分が大きい気がします。

そうなんよなー。
たまに失敗することもある。
入れてしまってストーカーみたいになってしまったこともあったよ。

—え…。その辺も含めて手探りで…?

うーん。
やっぱりわからんなぁ、人って。
いろんな人がいる。
人って深いなって思う。

—でもそれがあって、この適度にオープンで適度にクローズな、第二の家みたいな場所ができている。

うん。
私はこういう感じが好きかな。

—普段はここに住んでらっしゃる?

うん。これは仕事の余暇でやっているんだけど。
昼は仕事しているから。

—お昼のお仕事は?

私は今、旅館のフロントで働かせてもらっています。

私、都会で働いていたときには始発から終電まで働くねん。
大量のお金もらえるわけ。学生からじゃ想像もつかないような。
見たことおない額が通帳にあったりして。
なんかすごい。けど、あんまり楽しくない。
お金使える。なんか色々できる。なんだろうこれ、みたいになってきて。
で、田舎に来たら収入がびっくりするくらい低くて、それでも気持ちは楽やねん。(笑)

—うまいことできてるってことですね。その分生活にかかるお金は安い?

ほとんどないよね
恐ろしい話だけど、食べ物を買うことがないよね。
米をあげるよ、みたいな人がいるの。
なんだろうね、あれ。
余るからなんかな?
あれでもうちょっと儲けてほしいなって言う気持ちはあるから、若い人のアイディアで…。

— ぼくはそこにキウイの交配から着手します。(笑)
(修太郎のおじいちゃんが存命のとき、梨の農園の片隅にキウイの木を植えていた。梨の木を切ってしまった現在も、おばあちゃんが一人でそのキウイを手をかけて育てられている。それをお手伝いしよう、というお話。)

そのキウイの話、すごいいいよね。
私のテーマは地域資源の活用なんで、そういう話聞くの好き。

—立ち入ったことをお聞きしますが、ここって資金運営とかってどうなっているんですか?

みんなの会費を集めてるので、人が増えるごとに私の家賃が安くなるって感じ。
あと灯油とか共用のものはみんなで割ったりして。

最初は色々考えたんよ。冷蔵庫とかどうなるんかなとか。
名前とか食べ物に書いたりすんのかなとか。
シェアハウスの本とか読んで勉強してて。
カゴを用意しましょうとか。
でもそういうのまったくやってない。(笑)
やめよう!そういうのってなった。
もうみんな食べて!って。
絶対食べて欲しくないものは、もう家に持って帰ってもらう。
ここに置いた時点で全部私のもんやからなって言ってる。(笑)


さて、次回が最終回。
未来子さんの「好き」と「これから」の話を伺っていきます。
(文:芝田 昂太郎)