永田写真館のご主人へのインタビュー、たくさんの方に読んでいただき様々な感想をいただきました。
3編に渡る記事の中で永田さんのこれまでの足跡やファインダーを通じて考えてこられたことをみなさんにおすそ分けできたこと、僕と芝田二人にとどまらずに、考えたり思いを巡らす輪を広げられたこと、とっても嬉しく感じています。
このコラムでは、永田さんへのインタビューの最後に僕が個人的に永田さんにお伝えしたことから派生したお話と、そこから考えたことを発信してみようと思います。
是非皆さんのご意見、ご感想もお聞かせください。
では、参ります。
僕の家には、お父さんと妹と弟と僕が写った写真が額に入れて飾ってあります。お母さんは写っていません。お母さんが撮影者だったからです。
このあいだお正月にふいにこの写真の存在を思い出して、家族の団欒の話題になりました。
この写真、母が、永田写真館で現像をしてもらったときに、「よく撮れてるから引き伸ばしてみたらどう?」と提案をしてもらって、今我が家に額に入って飾られているもの。
その話を永田さんにお伝えすると、
—今はデジタルになったでしょ。フィルム現像とか写真のプリントをされないから我々には見せていただけないんですよ。
—自分たちで評価されるでしょ。
—私らは1枚現像してプリントするときに全部その方の想いを見るんですよ。例えばこの写真のコマに何が写ってるかな、どういう想いで撮っておられるかを察しもって。
—だからプリントするときにこの人の顔の色が出ないとダメだろうなということを見たり、そういうことを全部見るんですよ。
—それで、この写真は構図とかタイミングでいい写真に撮っておられて、これいいなって思ったらいいですよって言えるんですよ
と永田さん。
そして、続けて
—そうやってアドバイスを受けていただけるチャンスが今は無いんです。
—こうしたら腕が上がりますよっていうのは無い。そういう世界が今どこのお店でも無くなってる
—皆さんが同じグループでやっていたら、自分たちの考えだけでやっていると、レベルが上がらないこともある。
と。
顔の見える関係、そんな関係から生まれるお仕事。そういったものにしとしとは価値を見出したいと思っています。
それが何故だって言われると、上手く言い表せないこともあります。
でも、この永田さんのお話は、顔の見える関係から生まれる仕事が僕らの暮らしを確かに豊かにしてくれることを教えてくれたような気がしました。
永田さんがプロとして、家族の時間、家族の写真に声をかけてくださったことで今この写真は15年間も家族の時間にあり続け、15年経っても会話のタネになっています。
社会はひとりひとりの仕事で出来ている。
ありきたりな表現かもしれないけれど、この言葉は、「いい仕事をする人で溢れた社会はいい社会になる。『こんなものでいいか』が充満している社会は寂しい社会になってしまう。」という意味も内包しています。
そう考えると、どんな仕事が素敵なのかを考えることはとても大切なことのように思います。
永田さんは最後にこんな言葉でインタビューの時間を締めくくってくださいました。
—そういうお店をつくるとか、人をつくるとか、してもらえたらいいと思います。
お店をつくることは、それにとどまらず人をつくることにも繋がる。
「顔の見える関係」にプロのお仕事があること、そのことの価値に時々目を向けてみること。これからも続けたいです。
(文:山本 修太郎)