「写真を撮る」という行為は、あなたからどれくらいの距離にありますか?
あなたの「基準」はどこにあるでしょう?

唐突な問いかけで始まりました。
こんにちは。しとしとです。

今回僕たちは、香美町にある永田写真館のご主人にお話を聴きに伺いました。

香美町で、瞬間を切り取り、形に残し続けてお父様の代から数えて100年近く。
体調不良などもあり、今年度末でお店を閉められる決断をされたそうです。

しとしとの言い出しっぺである修太郎が人生の節目節目でお世話になっていたこともあり、僕たちになにかできることはないだろうかと考えたとき、「永田写真館という場所と、そこに立ち続けたご主人の想い、その存在を残すことではないだろうか」ということに思い至りました。

冒頭の問いかけは、そうしていただいた時間を通して僕のなかに表れたものです。

これから3回に分けて、永田さんとの時間をお届けしていきます。
読んだあなたはどんな問いを抱き、どんな応えを浮かべるでしょうか。

それがどんなものであれ、そこに生まれる問いと応えの循環が、永田写真館があったことの証明になるような気がしています。

香美町で、人生の節目に寄り添い続けたその場所は、香住駅を出てすぐのところにあります。

佇まいがどこか愛らしい

店に入ると、インスタントカメラから本格的な一眼レフカメラまで幅広く並んでおり、どんな人でも受け入れる懐の深さを感じます。

声をかけると、2階からご主人が降りてきて笑顔で迎えてくださりました。

靴を脱いで2階に上がり、永田写真館で写真を撮ってもらった人なら誰しもが入ったことがあるスタジオの前でお話を聞かせていただきました。

ここからは、永田さんと僕たちの、できるだけそのままの言葉で進めていこうと思います。

永田さんは23歳の時に、お父さんから写真館を継がれたそうです。

あなた方今神戸におるって言ったけども、私も18から神戸に5年おったんだよ。写真館で住み込みで勉強していて。

ほか(の写真館)に行きたかったんだけど、ちょっとその時身体を悪くして、帰ってきて静養していた時におやじが死んじゃったんですよ。
そういう意味では、私自身は勉強が足りなんだよ。神戸におったときは使い走りばっかり。カメラを使うとか、そういうところまではいかない状況だったから。

お父さんが亡くなられて、変わったことが。

帰ってきてもある程度勉強していたから、自分ではできると思ってたんだよ。若造だから。
だけど、おやじがぽっくり死んだときに、今まであった仕事が無くなった。
「えっ、こんなはずでは」っていう思いがあるんです。

で、それから10年かな。
お客さんに信用をもらうのにそれくらいかかっちゃった。

しば:10年か…。

やっぱり5,6年香住の外に出てたからね。
だから、お客さんは「あんた誰?」って。やっぱり私の仕事が見ておられないから信用できない。

2,3年は「うちのお客さんだったのに仕事させてくれないの?」っていう焦りがあった。
まあ、それはお客さんの立場に立ったらあたりまえだってことですよ。

自分では何でも出来るように思ってるけど、相手の立場に立ったらそりゃ信用ならないですよ。
写真1枚にしても自分の全身全霊を込めて撮らないと仕方がない。
レベルを上げないとお客さんからの信用はない。

それが分からないとやっぱりだめだってこと。
私らみたいに、「ものをつくる」っていうのはそういう世界だと思うよ。

今でも覚えてるけど、私が井の中の蛙で鼻を伸ばしとったときに、お客さんに言われたことがある。
ひょって来られて、ちょうど仕事が重なってて親父の代わりに私が撮った。
写している時から妙な顔しておられるなとは思ってたんだけど、後で来られた時に「うちはお父さんを頼んだ。あんたではない」と。

そりゃ当たり前だよね。
私は出来ると思ってても、むこうは親父の名前で頼んだ仕事。

聞いたときにはカチンと来たけど、よくよく考えれば「あぁ、その通りだな」と。

その方のことは、一生涯(忘れない)。

永田さんが写真を撮り続けたスタジオ。

そうした一枚にかける想いが、お店を閉められるという決断にも繋がっていました。

一枚の写真に一生懸命懸けなしゃあない。
手は抜きたいよ。手は抜きたいけども、『どうでもええや』って思ったときにやっぱり(よくないものができる)。
だから今辞めるって言ったのはその作っていくというパワーが(ない)。

若い人は頭の中で発想が無尽蔵に生まれてくる。
でもおっちゃんらみたいになると、1枚の写真を作るのにふーふー言わなあかん。
その、イマジネーションが湧いてくるっていうか、発想すること自体にね。

今まで積み重ねてきたものを修正していけば、何とかごまかして写真は作れる。
だけど、新しいこと考えて、次のステップに上がるとなるとふーふーよ。

現状維持でずーっと行くんだったらそれでいいんですよ。
ただ、違うものを作っていこうとするとやっぱり勉強をせんなあかん。
そういうステップアップをいかにするか。
それをせずにのんべんだらりと、『ただ写っとったらええや』っていうやり方でするか。そういう違いがあるんじゃないかなと思う。

だから例えば、今年も成人式の写真も、一昨年よりも撮影の仕方が変わってる。
同じような写真に思われるんだけども、違うんですよ。
頭を使うんですよ。

そういう意味では、前の写真は失敗してるんだよ。
上のものを目指さないと人間進歩しない。

そうしてお話は、カメラと写真のお話に。

家の隙間から漏れてくる光が壁に当たって絵が逆に映るという、それがもともとものカメラの発想。
それを箱にして、レンズをつけて、段々良くなってきて、今のデジカメのようにフラッシュ無しでも写る時代。
そういう道具の発展もあって、大きく世界が変わってきた。

今のスマートフォンなんかすごいね。我々の持っとる技術が全部入っとる。
そういう技術が簡単に、何も考えんでも出来る時代になっちゃった。
カメラの世界が変わってきてしまった。

私らはフィルムで写して、それを現像して、引き延ばし機にかけて写真にする。
だから、何重にも手がかかってる。

例えば昔の写真一枚作るのに、皆さんが持ってる記念写真なんかだと、水洗いだけでも1時間かかる。
そういうことは、お客さんには分からない。

しば:でも、僕らフィルムカメラを使わせてもらってますけど、データ化してもらったものからプリントするのと、ネガからプリントしてもらうのでは全然表情が違うような。

それは違いますよね。
フィルムの方が甘いんですよ。ピントというか、画素的に言ったらね。
でも、色の発色の仕方とかっていうのはやっぱり伸ばし(フィルム)からの方がいい。

ここで、その原始的なカメラが…!

君らがね、持ってるカメラはもともとこういう原始的な単純なものが。
こういうのはあんたらみたことが無い。

扱いが手慣れてらっしゃる

しば:初めて見ました。

しゅう:どれくらい前まではこれが主流だったんですか?

おっちゃんもこれ使っとった。

しゅう:え。じゃあそんなに昔でもない…。

このタイプのカメラは現実に今でも使う。
ただ、フィルム1枚の値段が高いから採算が合わんだけ。
現像するまでに1枚に500円、それからプリントするときには1枚2000円くらいかかる。
その金額は、今の世の中のみなさんのご理解はいただけない。

しば:お客さんからすると、何でこんなにかかっちゃうんだってことになっちゃう。

そう。

しゅう:でもこの背景を知るとちょっと、

しば:見え方が変わる。

(おっちゃんがピントを合わせる)

2人:すげーーー!

そうか、そういう世界が分からんか。(笑)
これが単純なカメラの大元の原理。
で、今やったようにピントを合わせて、ここでシャッター速度と絞りを自分で決めて…。

「ウィーン、ガチャコ。」

2人:おー!

しば:今でもそれで撮られることはあるんですか?

撮りますよ。人物写すときなんかに。

しば:でも僕らからすると写真を撮ったりするのってスマホとかでも出来たり。

そうそうそう。
おっちゃんらがやってるのは便利の悪いものを使ってる。すごく効率の悪いこと。

でも、これの方が早い。
頭で考えたことが全部伝わるから、思った通りに動かせる。
単純な絞りとシャッター速度とフィルムしかないから、頭で計算、判断して、それをカメラに伝えればいい。

しば:慣れてらっしゃる方ならそっちの方が思った通りの写真を。

そう。だから全く露出計も何もないカメラを使うっていうのも上達のためには一つ。

しば:僕が今使ってるカメラも露出計なし、絞りもシャッター速度も自分で決めなきゃいけないやつなんですけど、やっぱり時間がかかってるんです。でも慣れてしまえば、そっちの方が早い場合もある?

「場合もある」ではなく、はやい!

しば:努力が足りないってことですね(笑)。がんばろう。

きりがよいところで、今回はここまで。
次回は、永田さんが感じる道具と人の関わり方などを伺っていきます。

(文:芝田 昂太郎)