【長沼との出会い。長沼へ】
北海道長沼町。
札幌の東側に位置するこのまちに偶然の出会いをきっかけに4日間滞在しました。
普段しとしとでは、ある人の生き方や働き方、暮らし方を文字にしていますが、今回は長沼という場所、まちをまるごと文字にしてみようと思います。
とある出会いから、長沼を知り、実際に訪れた長沼でさらに様々出会いが広がりました。
最後にこの記事を通じて、あなたと長沼の新しい出会いに繋がれば幸いです。
僕たち『しとしと』が長沼町を訪れるきっかけは2018年の9月にさかのぼります。
東京で参加したイベントで、長沼町で地域おこし協力隊として活動されている村重勝也さんと出会いました。互いに普段活動をするまちのことなどを話したほんの5分ほどの時間が半年後、僕らを長沼町へと連れていってくれることになりました。
村重さんは神戸大学の出身。『しとしと』の2人と同じ大学の出身。
神戸で高校教諭をされた後、2016年から長沼町の地域おこし協力隊として長沼の地に移住をされたそう。現在は教員としての経験を活かしながら長沼町の教育委員会でお仕事をされているそうです。
イベントでお話させていただいたほんの5分の時間の中で、まちに若い人が関わってくれるようなきっかけを探していると村重さんはお話をしてくださりました。それを聞いて、大学生だった僕たち、『しとしと』が何か出来ることはないだろうかと自然と感じ、さらには純粋に長沼町という未知の場所にとても行ってみたいと興味が湧きました。
イベント後、村重さんに長沼へ行ってみたいと連絡をすると、村重さんは「何もないまちだけど、それでも良ければ是非」と快く受け入れてくださりました。
『しとしと』の2人は北海道へ今まで行ったことが無く、この長沼滞在が初めての北海道。
神戸空港から新千歳空港まで飛行機で1時間と少し。北海道がこんなにも近いのかと少々驚きました。
(普段活動の舞台にしている兵庫県香美町より近い?)
空港に降り立つと、肌寒く感じるものの、どこか気持ちよく、すっきりとした北海道の空気を感じます。
新千歳空港で村重さんが待ってくださっていて、空港から長沼へ車で40分ほどドライブが始まりました。
車の窓から見える風景は、普段僕らが目にしている風景とはどこかスケールの違うもので。
まっすぐな道の上に大きな空が広がり、道の両側にはまっすぐな白樺の木。
どこまでも大きく、まっすぐで気持ちのいい景色が初北海道の僕らを迎えてくれました。
空港から長沼へ向かう道中、村重さんにどうして長沼への移住を決めたのかを聞くと。
村重さんは、小さい頃からボーイスカウトやキャンプなどアウトドアな活動に親しんでいたそうで、初めて北海道を訪れた際に見た景色から受けた感動が忘れられず、いつかはこの場所に住もうと思いを持ち続けていたそうです。
村重さんは車が長沼に入ると、高台に車を走らせ、北海道の地にしかない景色があるということを、北海道を初めて訪れた僕たちに、確かに感じさせてくださいました。
【歩いて楽しめるまち】
長沼について、右も左も分からない状態でしたが、ひとまず歩き回って長沼のまちを散策することに。
長沼のメインロードと思われる大通りを歩いていると、まず見つけたのは「お弁当とお惣菜」のお店。ごはんや 野歩(のほ)さん。
「おいなりさんあります」の文字に惹きつけられ、入店。おいなりさんを購入。
神戸からやってきたことなどを自己紹介がてら話していると、長沼の色んなお店や人を紹介してくださったり、お店に来たお客さんに僕らのことを紹介してくださったり。
みんなに「なんで長沼に来たの?」と不思議そうに聞かれながら、談笑。
どうやら長沼にはほかの場所から移住して来られた方が多いよう。
移住してきた方が積極的に色んな活動をされていることを野歩さんで教えていただきました。
長沼に降り立って数時間ですでに何人もの移住者の方に出会い、ますます長沼が人を惹きつける魅力が気になり始めました。そして、長沼で出会う方お一人おひとりが理想の暮らしや生き方を持っておられるような雰囲気が感じられ、それが何なのか気になり始めました。
その後、野歩さんのおいなりさんを頬張りながら、メインロードをさらに散策。
入ってみたいなと思わされる小さなお店がぽつぽつと並んでいる通りがどこか魅力的でカフェで今後の行程を作戦会議をしました。
店内にはお子さん連れのママさんや野歩さんでも会った有機農家さんたち。
まちの中に女性が歩いて行ってお茶が出来る場所があること、その当たり前自体が素敵に感じます。
【遊びに本気。自分の手で暮らしをおもしろくする達人との出会い】
カフェでの作戦会議を経て、村重さんと合流し。村重さんおススメのカフェ、インカルシに連れて行ってもらうことに。
しかし、行ってみると残念ながらその日はお休み。
でも、外でご主人が作業をしておられたので、お話を聞いてみることにしました。
ご主人は薪ストーブの薪を作る作業中だったらしく、薪の原料となる木の違いや、保管の仕方などを教えてくださいました。
薪小屋はご主人の手作り。雨をしのぎながら風を通す工夫をこらしたオリジナルの小屋にはぎっしりと薪が積み上げられていました。
その後、ご主人はご主人の秘密基地(車庫)に僕たちを案内してくれました。
秘密基地の中にはスキーや狩猟の道具、工具などがディスプレイされていました。
漢のロマンを詰め込んだような秘密基地。
ご主人は高校までスキーの選手で、大学に入って以降もスキーを続けていたそう。社会人になり、大手企業に勤めてからはご主人が師匠と呼ぶ方から誘われたことをきっかけに、平日会社勤めをしながら、土日は全国各地の山を登り、スキーで下山したり、渓流下り、キャンプに明け暮れる生活をしていたそうです。
そんな社会人生活にお別れをし、長沼へ移住。今はカフェをオープンし、奥様とカフェを経営する傍ら、狩猟やスキーなど自身の好き・得意を活かして生業を作っておられるそうです。
「毎日遊んですごしている」と笑うご主人の暮らしは、全力で遊ぶことを追求する延長線上にあるようで、工夫とユーモアにあふれたものでした。
秘密基地で僕らにお手製シカの燻製を振舞ってくれるご主人はとてもかっこよく見えました。
秘密基地から出ると日が沈みかけていて、
高台の開けた場所にあるご主人のカフェ兼秘密基地から見える夕日と空は何色とも表現できないような美しさでした。
「毎日この場所からこの景色を見ると頑張って良かったと思える」とご主人。
「何もないまちだよ」と長沼の人たちは長沼のことを表現します。でも、この景色や暮らしを見ると、それは最高の誉め言葉にすら感じられました。
後日改めてカフェインカルシにお邪魔しました。
奥様の淹れる美味しいコーヒーと、ご主人の割った薪を燃料に燃える薪ストーブ。
窓からはご主人お気に入りの景色。
これさえあれば他にはもう何もいらない、そんな幸せのおすそ分けをしてもらった気持ちでした。
【ネオンのある町ながぬま】
長沼町の夜。そこは小さなネオン街。
僕らは長沼滞在の2日目から長沼町の移住お試し住宅での生活を体験させてもらった。
お試し住宅のある場所の住所は「長沼町銀座南」。
銀座?!
そう、長沼にも銀座があります。
夜になって、移住お試し住宅の外に出て少し歩いてみると「平和通り」というネオンが輝く小さな通りにたどり着きます。
なかなか味わい深そうなスナックや居酒屋が並びます。
お酒を呑むのが好きな僕らにとってはこの小さなネオン街がなんとも素晴らしく、毎日長沼の銀座に繰り出してしまいました。
そんな平和通りで僕たちが特にお世話になったのは「焼き鳥小僧」さん。
お腹ペコペコだったこともあって、がっつりご飯食べながら吞めるところに入ろうと入ったそのお店はキャンプとプロレス好きな店主と店主の奥さん、お手伝いをしている笑顔のかわいい小学生の娘さんが迎えてくれるあたたかなお店。おいしい焼き鳥とクラフトビールが最高です。チーズとわさびのおつまみも美味。
ご主人に神戸から来たことを話すと、カウンターに案内してくださり、店主は僕たち2人の分とご自身の分、3人分のビールを注いで乾杯で歓迎してくださりました。
さらに、この長沼滞在中、『しとしと』では絶賛記事の執筆・公開中でありながら、Wi-Fiを見つけられず執筆が完了した記事の公開を出来ずにいました。
そんな話を店主にすると、「うちのWi-Fi使いにきなよ」と。
お言葉に甘えて、翌日もお邪魔しました。
(「焼き鳥小僧」にフリーWi-Fiがあるわけではなく店主のお心遣いで特別に使わせてくださりました)
店主は趣味のキャンプのお話を僕たちに聞かせてくださり、北海道各地のキャンプ場で撮った楽しそうな写真をたくさん見せてくださりました。店内にも色んなキャンプグッズ、アウトドアグッズが置かれていました。
昼間に会った遊びに本気なカフェの主人に続いて、ここでもまた長沼の遊びの達人との出会い。
長沼の銀座は寒い日でも、お店の人の顔が見える温かな夜をくれるネオン街でした。
【ジンパは長沼の公共空間】
僕たちの長沼滞在の一つの目的は、僕らを長沼に迎え入れてくださった村重さんが企画に携わっておられる「ながぬま羊まつり」(以下、羊まつり)に行くこと。
この羊まつりは、綿羊生産地として羊とともに暮らしを作ってきた歴史を持つ長沼の未来と歴史を考えるイベントです。当日は、まちの若者が教育についてパネルディスカッションをしたり、羊毛でコースターを作るワークショップがあったり、30年前に閉校になった小学校の校歌をおじいちゃん・おばあちゃんの力を借りて再現して歌ったり。
そして、イベントの最後はみんなでジンギスカンパーティー、通称ジンパをする、そんなお祭りでした。
前日にはお祭りの準備にも呼んでいただき、雪かきをしたり、ジンパのコンロを運んだり。
ここでも急にやってきた僕たちをお祭りの運営メンバーの皆さんは迎え入れてくださり、
「次来るときはうちに泊まりなよ、500円で朝食夕食付きで、お酒を呑みながら語れるよ」と声をかけてくださる方も。
迎えた羊祭り当日。
この羊まつりで印象に残ったシーンがありました。
まちの若者が教育についてのパネルディスカッションをする時間の最後。それまではパネラーが議論をする展開でしたが、最後は会場にいる皆でまちの教育について感じたことを話しあって、共有するという時間になりました。
そこで、参加していた中学生の女の子グループが発表をしていました。
「偏差値が高いとか低いとかじゃなく、もっと何が大切なことかを考えて勉強していきたい」
中学生の女の子が言った言葉に会場では共感や感心を含んだ拍手が生まれていました。
長沼に来る前、村重さんから「まちに若い人が関わってくれるようなきっかけを探している」と聞いていましたが、この中学生の女の子が言葉を発した瞬間に、長沼町が世代を超えて前向きにまちについて考え、前進している足音を感じました。
その他にも、ワークショップで出会った方の中には、義務教育・学校教育にとどまらずにお子さんの可能性を引き出す教育を考え、実践されている方など、日々常識や固定観念にとらわれずに考えることを止めずに暮らしている姿がありました。
ワークショップ終了後は、みんなでジンパ。
長沼のことについて子供からおじいちゃん、おばあちゃんまでがジンギスカンを頬張りながら語り合いました。
初めて長沼に来た僕らのことも皆さんはあたたかくジンパの輪の中に入れてくださり、
食べ始めてからもその輪の中に「僕も加わっていい?」とおじさんがやってきて、一緒に乾杯したり。
ジンパは誰もをあたたかく迎え入れる長沼の公共空間でした。
これも歴史の中で長沼の先人が作り、守ってきた文化。
「何もないまちだよ」とまちの方が表現するまちには素敵な文化もありました。
【最後に。あとがき】
僕たち『しとしと』が長沼町を訪れたのは2月28日~3月3日までの4日間。
記事が完成するまで2か月以上もかかってしまい、長沼のことを文章で表現すると約束した長沼の方を大いにお待たせしてしまう形となりました。
僕たち『しとしと』が長沼を訪れていた期間僕らは神戸の大学生でしたが、この2か月で社会人の仲間入りをしました。
大学4年の夏、イベントでお会いし、たった5分ほどしか話していない大学生の「行きます!」の言葉をあたたかく受け入れてくださった村重さんのおかげで今回の僕ら『しとしと』の卒業旅行とも取れる長沼滞在が実現しました。
『しとしと』は大学生であった僕たちなりの模索の過程でした。
「何もないまち」その言葉は僕が地元で聞いた言葉でもあります。
何もないはずがない、何もないって何と比較しているの?、何もなくてもいいじゃん、そんな気持ちの表現が『しとしと』であるような気がします。
そんな中、大学生としての『しとしと』最後の地に長沼を訪れることができたこと、それはとても大きな意味があることだったように感じます。
村重さんをはじめとしてたくさんの長沼の方のあたたかさに触れました。
何もないまちには暮らすこと、遊ぶこと、学ぶことを自分たちで考える人がいました。
何もないまちにはそこにしかない文化がありました。
他のまちにあるものが自分たちのまちにもなきゃだめ、なんてことはない。
自分たちのことを自分たちで日々考えることの方がもっと大事。
そんな当たり前、当たり前だけど『しとしと』が大事にしたいことを再確認できた旅でした。
次は東京と大阪の社会人2人で長沼に行くので、またあたたかく迎え入れてください。
ありがとうございました、北海道長沼町。
(文:山本 修太郎)