前回の永田さんのお話:「道具と人のお話」

しば:いやなんか、お話聞いていると、みんながデジタルの世界に向いてしまっているのが、もったいないことのような気がしてきます。こんなに面白い世界があるのになぁって。

でもなかななか、こういう写真の世界はわかってもらいにくい世界だよ。
紙だからね。

しば:まぁ確かに言ってしまえばそうなる…んですかね?

最終的には紙のぺらぺらなんですよ。火をつければ燃える。
でも今でも、水害にあった地域で水に浸かってしまった写真を一枚ずつ丁寧にめくっている。
少し前の岩手や宮城とかでも。
アナログの世界の写真だから、そうやってもどす。デジタルの世界は、戻せない。

だから、わたしの写真でもこれ、うすーいフイルムが貼ってあるんだよ。
ラミネートというか、もっと薄いやつなんだけれど。だからこれは、水につかっても大丈夫なんだ。

しば:もしものことがあっても…。

そう。
もしものことがあっても大丈夫。
わたしらはもう馬鹿な考えだから、一枚の写真がお客さんにとってどれだけ大事かっていうことなんですよ。

わたしらにしたら紙一枚だけれども、お客さんにしたら、ものすごく大事なもの。
そう思わないと仕事はできない。
どうでもええわって言ったら、どうでもええ写真なってしまう。
だからそういうふうに、普段写真取るときも、想いを込めて写してもらえると嬉しい。

しば:なんか、涙出てきました

よう言うわ(笑)。

だからそういう世界があるんだよっていうことだけでも、知っとってもらったら面白いかな。

今はデジタルの世界だから。観れるから、簡単に撮っているけれど、フィルムの世界はそうなんですよ。

しば:そうですよね。現像してみないとわからない。

だから、仕事して帰ってきて現像して、フィルムの絵が出てくるまでは飯がうまない。

しば:気が気じゃない?

そりゃそうだよ。
そこまで責任があるんだもの。
例えば結婚式なんかで、(写真が)なかってごらん。

わたしらは失敗でしたって言っても、お客さんにしても一生のもんで。
そこまで誠意を見せなきゃいけないものなんですよ。紙一枚が。
今はデジタルだからないけれど。
そんなもんですよ、今は。軽い。

しば:そうですね。いいか悪いかはわからないけれど。

ひとつひとつに、理由がある

つぐことの難しさと、成長

しば:いやなんか、こんな辞められなるっていう前に聞かせてもらうお話じゃない

いやいや。もうそれは、仕方ない。

しば:うん。

ただまぁ、ね。
こういう世界を引き継ぐ人は、いないということです。
私の持っているものはね、私で消えるということ。
でも、この世界では仕方ないんですよ。

しば:というのは?

一人一人の感性が違うから。
私がこう思うって言っても、(次の人が)それを全部まるっきり受け取っても、どないしようもない。進歩しないし。

しば:そういう意味では、繋いでいくっていうのが、ただの事業とかと比べると難しい領域なのかもしれないですね。

そうそう。感性の問題だからね。

しゅう:なにかマニュアルを引き継げばいいってわけじゃない世界ですもんね。

真似はええんですよ。
盗作だとかなんとかいうけれど、盗作できるっていうことはそれだけ腕があるっちゅうことですよ。

しば:確かに。

盗作できんようでは、腕ないんですよ実のところ。
なんの世界でも。絵でもそうだし。書の世界でも。
悪く言えばみんな盗作なんですよね
盗作の上から、ちょっとずつ自分のものに変わっていく、っていうのが、その人の表現がどう進むのかっていうことですよ。

しゅう:そうか。

だから、なんの職業にしてもそうだと思うよ。
人の真似するだとかっていうのは当たり前のことだと思うし、そっからいかに自分の選択をして上澄みを乗せってって成長するか、だけの話だと思う。

しば:言いようによっては、全部盗作だけれど同じものはない。

そうそう。
だって真似しなかったら、人間の能力なんてそんなに伸びないと思う、天才は別として。

しば:でもそれこそ、永田さんはお父様がやられている時か見てらっしゃったんですよね?

見ていたよ。
そういう意味では、生まれた時から真似をして、引き継いでいる。

昔は写真はこういう風に仕上げたら、フィルムとかでするから埃とかゴミが出る。
で、そこに、白い傷がでてくる。それを絵の具で埋めていくんですよ。お客さんに渡す時に。

本当に細かいのがでてくるから、それぞ全部筆で直すんですよ。0.5ミリくらいのを。
それを墨の濃度の調整で入れていくんですよ。

さっき言った4×5のフィルムなんかあれでも、写したフィルムなんかを顔の影とか傷とかを鉛筆で直す。
そういうことを小学校の自分からやっていた。

そういう作業も最終的には顕微鏡使うところまで行ったけれど。

しば:顕微鏡?

フィルムが小さなったから。

しゅう:そうか作業も細かく小さくなって。

今の6×6のフィルムくらいだと、顕微鏡とか。
それを今の成人式とかのシーズンだったら丸一日。

しば:そうか。それぞれの写真で。

例えばニキビあったらニキビ潰したりとか。

しば:うわー。

だから椅子に座ったら24時間ぶっ続けでやらないと、集中できない。

しゅう:一回途切れてしまうと?

だめ。

写真にはそういう、ひとには見えない世界がある。

しば:僕らからしたら、できている写真だけしか見えない。

そうそうそう。

しゅう:すごい話だ…。

いやこれはもう、内輪の話だ。

しゅう:いやでも、すごいな。

いまはもうそんな必要ない。
フォトショップがあればボタン押せば一発でできる。簡単な時代です。

しば:良し悪しですね。いろんなあり方が残ってくれたらいいなぁとは思うんですけれど。

思うけれど、なかなか難しい。

しば:日本人の特性なのかなんなのかわからないですけれど。

まぁ、そうでしょう。(笑)

しゅう:でもなぁ、せめてこうやって話聞いた僕らだけでも想いを

しば:ね。がんばろ。

頑張ってください。

しば:こんな話聞かせてもらうとシャッター切る時の心持ちが違うよな。

枚数が少ないフィルムで、一本のフィルムの中に何を撮るのかっていうこと考えてもらったら一番いい。

しば:気持ちが入りそうですもんね。よく考えて。頭を使って。

そうです。

しば:大事に。

そうです。

一枚を、よく考えて撮っていただいたらええと思います。

いつものカメラと、永田さん

あとがき

昨年末、「永田写真館が閉めなるんだって」と母に聞きました。その後、地元のお知り合いの方もその情報をくださいました。

香美町で生まれ育った人は誰もが、永田さんにファインダー越しに見守られて育ったのではないでしょうか。もちろん僕もその一人です。

小学校の運動会で重たい校旗を持って入場行進をしたときも、成人をしたときも、永田さんがその瞬間をファインダーを通して見守ってくださっていました。

永田写真館が無くなるという事実を目の前にして、僕は永田さんに感謝を伝えたいと思ったと同時に、永田さんが写真と一緒に歩んできた足跡や、写真というものを介して考えてこられたことに触れてみたいと純粋に思いました。

そして、実際に永田さんは2時間半に渡ってお話を聞かせてくださいました。

その内容は僕たちには到底理解し切ることが出来ないほどのもので、僕らはお話を聞き終えてしばらく、永田さんの覚悟、葛藤、途方もないほどの積み重ねを目の前に立ち尽くすしかない感情でした。

永田さんにお話を伺う中で、「良し悪しではない」という言葉とともに多くの問いかけがありました。僕たちは今回永田さんがお店を閉められる決断を取り上げ、形にしたわけですが、このことを通して僕らが伝えたい明確なメッセージは無いような気がします。

永田さんの問いかけに足を止めて考え続けることを、僕たち自身もし続けなければならない。そんな風に思うからです。

永田さんの問いかけを思い出し、考え続けること。それが永田写真館があったことの証明になると信じています。

3月1日。永田さんが撮ってくださった写真が家に届いていました。
一生残る宝物です。

撮影の様子

(文:山本 修太郎、芝田 昂太郎)