前回の大悟さんのお話…「色を作る仕事」

 

ここまでのお話を伺うと、とても活動的かつ積極的で生き生き暮らしているような印象を受ける大悟さん。

 

僕は、お話を伺いながら「すごいなぁ」と思いつつ、自分とはちょっと違う人なのかなという印象を持ったので、こんな質問をぶつけてみました。

大悟さんは、最初からそのフットワークの軽さや走りながら考えるというスタンスを取れる人だったんですか?

 

「いや全然、全然!(笑)」

「自分の仕事も嫌で嫌で仕方なかったし、なにか面白いことを思いついたとしても『盛り上がってきた!よし、とりあえずビール飲んで明日やろう!』って感じの人だったよ笑」

 

よかった。なんだか嬉しいです。(笑)

その気持ち、とてもよくわかります。

 

 

では、そのダラダラしていた大悟さんからスイッチが切り替わるタイミングはどこだったんでしょう。

 

 

それを紐解いていくために、大悟さんの言葉で今までの大悟さんの時間をなぞってみます。

 

 

 


 

香美町(旧香住町)に生まれ、米子高専米子工業高等専門学校工業化学科に入学。卒業後すぐ、香住に戻ってきました。

 

卒業後どこにも就職せず、すぐに父の営む松岡塗装店に入りました。

 

当時バブル景気がはじけ、高専卒の就職事情もかなり悪化していて、同時に都会への憧れはあるもののそこに飛び出る勇気も持てなかった自分はいずれ香住に帰るならと思い卒業後香住に戻る事を決めました。

 

なので、どちらかというと地元と家業に逃げたという表現が正しいと思います。

 

香住に戻ってからは想像以上にペンキ屋の未来の無さを憂い、コミュニティの小ささと町の可能性の無さを痛感して毎日毎日嫌でしょうがない日々を過ごしていました。

 

ただ唯一の救いは後に奥さんになってくれる靖子さんの存在でした。
彼女と少しでも早く結婚する事を目標に休みの日曜日は日帰りで米子まで通いました。

 

そして香住に帰ってから2年後に結婚。

それから割とすぐに長男ができ、その2年後に長女その2年後に次女と早い段階で親となり家族ができ自分の中では充実した生活を送っていました。

 

ただ仕事は相変わらずいやだったし、社会活動も地域の既存団体に属してやってたけどそんなに充実感はなかったです。

 


 

 

そんな意識の生活からスイッチが切り替わった瞬間が、松岡塗装店の代替わりのタイミング。

代替わりに当たって、売り上げ目標を立てることになったそう。

 

「よし立てよう!と思ったけれど、目標の立て方なんて全然わからなくて。(笑)」

「お付き合いのあった地元信用金庫の方に手伝ってもらって、今後家庭として10年間でかかる費用を見える形にして、そこから松岡塗装店の売り上目標をたてるっていうやり方を教えてもらったんよ。」

「そうやって、ある程度やるべきことが明確になったことが大きかったな。」

 

 

いきなりお仕事の目標を立てるのは難しい。

だからまずは、家庭の絵を描いていくことにした。

そんな風に考え方を転換し、目標を見える形にすることでやるべきことが明確になったこと。

 

それが僕がお話を聞いている時に感じた「フットワークの軽さ」に繋がっているんだな。

 

なりたい自分を妄想していることが楽しいということもあるけれど、憧れや『こんなことやりたいな』って思ったことを、現実に落とし込んで、今できることをみつけること。

それが実現への一歩目、なのかもしれません。

 

 

 

最後となる後編は、大悟さんの頭の中の”まちのこと”に焦点を当てていきます。

(文:芝田 昂太郎)