兵庫県の北の端、香美町。
その香美町の中で日本海側の地区が香住区。
あの有名な城崎温泉からさらに海に沿って西に向かう列車に乗って約1時間の香住駅。
海を左に見ながら大通りを進むとちょっと小さくて縦じま模様の建物レンタルスペースglassが見えてきます。
今回お話を聴かせてくれた方は、ここで僕たちのことを待っていてくれていました。
松岡大悟さん。
松岡塗装店の社長にして、NPO法人TUKULUの理事長も務めていらっしゃいます。
もともと僕たちが香美町で活動する中で松岡さんには大変お世話になっていて、「地域で生き生きしている師匠」という言葉から真っ先に浮かんだのが大悟さんでした。
さて、どんなお話が聞けるのでしょうか。 よろしくお願いします。
まず、お仕事のお話から。
そもそも、塗装店(大悟さんはペンキ屋と呼んでいる)と聞いて実際のお仕事が思い浮かぶ人ってあまり多くないのではないでしょうか。
僕もあまりピンときていません。
いま、どんな形でお仕事をされているんですか。
「建築塗装いわゆる建物外装の塗装をメインにやっています。」
「今は個人のお仕事が6割、工務店さんからのお仕事が4割くらいでやらせてもらっています。」
「工務店さんのお仕事は、家を建てる時の外装の仕上げの塗装のお仕事。みんなペンキ屋ってイメージ湧かないって言うけど、みんなが住んでいる家が出来る過程で必ずペンキ屋は関わっているんだよ。」
言われてみれば、確かに。 縁の下の力持ちなお仕事。
「個人のお仕事は、施工主さんから直接依頼を受けてやるお仕事で、外装はもちろん内装やサインを書く仕事なんかも最近は徐々に増えてきたかな。」
でもかつては9割が工務店さんからの下請けでのお仕事だったそう。
そのお仕事のやり方を、ある時大きく変更したそうです。
いままで繋がりのあった工務店さんからのお仕事から、直接お客さんとやりとりをする元請けでの契約でのお仕事の割合を増やす働き方にシフト。
その根底には、今は、ペンキ屋の息子に生まれてきて良かったと思っているけれど、昔はペンキ屋という仕事をポジティブに捉えられなかった、そんな思いがあるそう。
「ペンキ屋の仕事に就いてから、想像以上にこの仕事の未来の無さを憂い、コミュニティの小ささと町の可能性の無さを憂いて、毎日毎日いやでしょうがない日々を過ごしていた。」
「その中で元請けである工務店を見てするようになっていた仕事に違和感を抱いて。」
「本来は工務店のためのお仕事ではなく、住まう人のためのお仕事。 住まう人と直接やりとりしてその思いを汲み取る働き方をしていくべきだし、やっていきたいと思った。」
「ただ、働き方を変えることで売り上げが落ちてしまったら元も子もないから、売り上げは絶対伸ばそうって。それだけは、奥さんと相談して決めた。」
「それで意外と伸びてくるんだよなぁこれが(笑)」
大悟さん、だいぶ追い込み型のやり方ですね(笑)
「いやでも、勝算がなかったわけではなくて。 地域の活動をしていく中で出会った他の地域の社長さんたちと知り合う場所があって。 この人たちって絶対家に住んでいるし、社屋を持っているよね…。 そこで人の関係を築いていけば、『松岡大悟に塗ってほしい』ていう話をつくっていけるんじゃないか。」
「そこから実際に他地域でのお仕事が増えていて、働き方を変えても売り上げをキープ出来てる。」
「日々一生懸命取り組んでいれば、そういう人たちにも伝わって、そこから紹介でお仕事をいただけたりすることが実際にある。」
「やっぱりそういうもんなんだよ。」
信頼できる人間関係広げていくことで、そこから生まれるお仕事が生まれることがある。
大悟さんがいう”そういうもん”を言葉にさせてもらうとこんな感じのことなのかな。
そして、そうして広がっていった人とのつながりがきっかけで、 現在は内装にも塗装屋さんの可能性を求めている大悟さん。
「松岡塗装店の代替わりしてからしばらくして、松岡塗装店をもっと違う見せ方が出来るんじゃないかと思って。ロゴを作ろう!という話になった。その時にお願いしたデザイナーさんが近藤清人という人で。」
近藤清人さん。 調べてみると、兵庫県の宝塚市のSASI design株式会社の事務所の代表を務めていらっしゃる方のようです。
「一発目のヒアリングですげー意気投合してしまって(笑) ロゴマークどころじゃなくて、色を作ることができるというペンキ屋の当たり前の技術を、別の切り口で捉えて引き出してもらったんよね」
確かに「色を作ることができる」ってとてもワクワクするし、普通の人には想像ができない領域。
「いやでも、それが仕事だからできて当たり前だと思っとったんよ(笑)」
この出会いから、内装のカラーリングを手がけるようになったそう。
「近藤さんとの出会いから内装を手がけるようになって、ペンキ屋の仕事ってペンキを塗ってお金をもらうだけではなくて、住む人の暮らしに関わることのできるお仕事だなっていう風に捉え方が変わってきた。」
「劣化してきた外壁を塗りなおすというマイナスをゼロに戻すというお仕事から、色を使って暮らしに付加価値をつける仕事であり技術の使い方へ。 言われてみれば確かにそういうこともできるけれど、その発想は全然なかった。 でもそう思い始めると、いい仕事やなぁと思うよ(笑)」
自分ができることを客観的に別のの切り口からみることで、お仕事をつくりだしていくということ。
大悟さんが見つけた地域で生きていく知恵なのかもしれないなと思いました。
少し背伸びしたり、しゃがんでみたりして、自分ができることをみてみると「仕事がない」と言われる地域で自分が生きて行く術を見つけられるかもしれない。 僕たちはどんな種を持っているでしょうか。
このあともインタビューは続きますが、長くなりそうなので今回はこの辺で。
次回は、大悟さんの”やる気スイッチ”を探していきます。
(文:芝田 昂太郎)