“「飄々」とは性格・態度が世俗を超越していて,とらえどころがないさまです。 他に、風に吹かれてひるがえるさま。”

 

「人が集まる場所をつくる」
最近よく耳にする言葉です。
コワーキングスペースであったりとか、そこから何か新しい動きをおこそう、とか。

そういう場所は、そこで行われていることを発信して、さらに新しい人の流れを生み出そうとすることを目指しているところが多いような気がします。

 

でも、今回取材する場所は少し毛色が違います。
あまり、というかほとんど場所としての発信がない。
イベントをやるときも発信しているのは、それを主催している人で、場所を運営している人ではない。

HPをのぞいてみても、よくわからない。
外側から眺めることはできるのだけど、その内側で何が起きているのかは窺い知れない感じ。

 

そんな不思議な場があるのは、兵庫県の豊岡市。
街の中心にある丸い交差点、ラウンドアバウトから南西に少し進むと、純和風のどこか懐かしい建物があります。

ここが、件の場所。シェアスペースコトブキ荘。
今回お話を伺うのはこの場所のご主人、松宮未来子さんです。

 

外観の写真が暗くてとれなかった。これで許してほしい。

 

約束の時間より少し早く着いたので、会員の松山さんからコトブキ荘の案内をしてもらいました。

 

—普段はどんな使われ方がされているんですか?

会員制のシェアスペースになっていて、2階にはゼロの学校っていう私塾の講義室があったり。
共用スペースでは、小学生が勉強している横で会員がパソコンいじったりしてる。僕なんかは、ごろごろして漫画読んだり。(笑)
なんというか、説明が難しいんだ。来てもらうのが一番早いと思う。

 

—いい意味でカオスな感じ?
そうだね。
いろんな人がいる。不思議な場所だよ。

 

案内いただいてひと段落したころ、未来子さんがやってきました。
松山さん、ありがとうございました。
早速始めていきたいと思います。

猫がいた。写真に写っているのともう一匹。可愛い。

 

 

—未来子さんはずっと豊岡にお住まいなんですか?

いや高校の頃は大阪のN市のとある団地群。
大ヤンキータウンなんですよ。
私は小学校、中学校時代は大ヤンキータウンで育ってるんですよ。

—大ヤンキーではなかった?(笑)

いやどうだろう。ヤンキーではないと自覚はあるんだけど。
バイクとか乗ってないし…。
中学校の時に公園で撮った写真があるんだけど。
(写真を見せていただく。)

 

—あー、中ヤンキーくらいかな?(笑)

ヤンキーではない!
オシャレに興味があった…!

 

—なるほど。(笑)

いまの写真が中学校の時。
住んでいたのが本当にやばい地区で。(個人の感想です)
ダウンタウンみたいな、全部が団地のところ。

で、高校はなんかちょっと、大学を目指すような子たちが行くようなとこに憧れてたんで、夜な夜な勉強して行ったんですよ。
そしたらもう、浮く。(笑)
同じ世代ってこんな感じなの?って。

なんか退屈やなぁと思って。
放課後に友達とバンドをしたりバイトをしたりね。そんな日々を過ごしました。
あんまり学校に行ってなかったかなぁ。
あんまりというか、ほとんど(笑)

 

—でも、当時の生活ぶりを聞いていると、そこから今の生活がイメージしにくいような。

そう。
それで、高校を卒業して行った大学は芸大なんですよ。
高校の美術の授業で、その時喋っていた違うクラスの女の子が、
「私、芸大に行こうと思ってるんだよね」
みたいなことを言っていたの。
「え。なに芸大って。そんなのに行く選択肢があるのか」ってなって。
それで調べたら、すごい面白くて。いろいろ。
うん。それで行ったかなぁ。

 

—そもそも芸大ってどんなことを勉強するところなんですか?

芸大って、芸術を勉強するの。(笑)
絵画とか洋画とか演劇とか、いろんな科目があって。
そのなかで私は、建築学科なんですよ。
なので学生の時は、ランドスケープデザイン、建築デザイン、地域デザインを横断する学科で、環境デザインと呼ばれるものを勉強してた。

 

—具体的にどちらの学校でしたっけ?

私は京都造形芸術大学っていう、京都の銀閣寺の近くで、神殿みたいになってるところ。
いろんな大学を観に行ったんだけど、そこが一番良くて。
学研都市にある大学にも行ったけれど、なんかイケてない感じがして。
なんかこう、ニセモノ感というか。

 

—当時から、センスというか、かっこいいの基準があったんですね。

あったねぇ。
すごい自分の好みにうるさくて(笑)。
で、造形大は近くに古いお寺とかあったり京大があったり、すごい文化的だったから。

 

—じゃあその辺で一人暮らしってことですよね?

うん。

 

—いいなぁ。あの辺で一人暮らしなんて夢の大学生活じゃないですか。

そう、そうおもってたよ。
でも結局なんか楽しくなくなってくるんだよね、京都とかに住んでいても。

 

—というのは…?

やっぱり消費的じゃん?
消費して楽しむことしかないなぁとか思ってて。
それは、私が就職した時に建築の仕事で東京とかにいたんだけど、東京もいっしょで。
与えられて、それにお金を払って消費して楽しむというのに飽きてきた。

 

—そこに意識をもって、飽きてくるっていう感覚を持てるのは誰しもができることじゃない気がします

今はそう思ってる。
そん時は、なんか面白くなくなって来たなぐらいの感覚だったんだけど。
「なんか違う、なんか違うなぁ」ぐらいだったけど。
いまはそうだったんだろうなって思うかな。

 

—消費的じゃなく自分でできることやろうよっていう感覚は、僕たちも感じているものかもしれません。

なんかそういう感覚はあるよなぁ。

 

 

インタビューはこの後も続いたのですが、長くなってしまうので、今日はここまで。
次回は、未来子さんが住む豊岡、そしてコトブキ荘のお話を伺います。

次回:「コトブキ荘、豊岡のこと」

 

(文責:芝田 昂太郎)